2011年12月31日土曜日

清明上河図

2011年12月13日の朝日新聞朝刊を見た人はビックリしたと思います。その一面には、「神品 日本へ、清明上河図 北京故宮展に」とあったからです。いくら朝日新聞が主催しているとはいえ、絵が一つくるだけで新聞の一面かと思った人が多いのではないでしょうか。《清明上河図》って何という人も多かったでしょう。そこで《清明上河図》に関して調べたことを整理してみました。

《清明上河図》は中国北宋の時代(960年-1127年)の末期に、張択端(ちょうたくたん)が描き、第八代皇帝徽宗に献上したと伝えられています。内容は、宋の都だった開封の街の内外の様子を描いたもので、当時の庶民の生活がいきいきと表現されています。季節は清明節の頃で、今で言うと4月のはじめになります。絵の中を流れている河は汴河(べんが)だと言われています。
作者、作品ができた時期、描かれた内容に関しては、他の説もあるようですが、北宋の街のにぎわいを描いたものであることは間違いないようです。

幅は24.8cm、長さ5m28cm。中に描かれている人の数は550人以上、という大きな作品です。

開封は現在は河南省の地方都市ですが、紀元前2000年の夏王朝がこの近くを拠点としていたことが知られ、中国でも最も古くから発達した地域です。随のころには黄河と淮河を結ぶ運河である汴河が作られ黄河流域と長江流域を結ぶ交通の要所になります。北宋の頃には、都として、また海運の中心として栄えていました。人口も100万はあったと言われています。

このように商業で栄えた活気ある街の絵が、《清明上河図》です。絵は、3つのパートに分かれていて、右は街の外の田園風景、真ん中が汴河にかかる紅橋を中心とする商業地、左が都市の中になっています。
その当時の、家並、商家、酒樽、船、ロバや駱駝、荷車、船頭、通行人、講釈師など、一つ一つに興味を惹かれそうです。

このような街の絵は、ヨーロッパの絵では見たことが無いですね。フェルメールのデルフトの絵には人の庶民の生活の様子はでてこないですし・・・。日本だと洛中洛外図がこれに近いでしょうか。庶民の生活を描いた絵が中国で一番人気がある絵だというのが面白いですね。また、北宋の時代は精神性の深い水墨画が発展した時期でもあったはずです、そういう文化と庶民の絵を描く文化が共存していたというのも興味深いですね。

《清明上河図》は、東京国立博物館で行われる、『日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展「北京故宮博物院200選」』で、2012年1月2日から1月24日の間だけ展示されます。(展覧会自体は2月19日まで開催されています)。ぜひ見に行きましょう。

関連情報の収集先としては展覧会のウェブサイトがあります。
http://www.kokyu200.jp/

またちょうど図ったように2011年12月に発刊された本があります。『謎の名画・清明上河図 北京故宮の至宝、その真実』野嶋剛、勉誠出版。野嶋さんはジャーナリストで絵の解説だけでなく、《清明上河図》にまつわる来歴や、開封という街のことが書かれています。

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