2012年8月25日土曜日

カルペ・ディエム花として今日を生きる 豊田市美術館

豊田市美術館で、「カルペ・ディエム 花として今日を生きる」展が開催されています。

カルペ・ディエムとは、紀元前1世紀のローマの詩人、クィントゥス・ホラティウス・フラックスの『歌集』第1巻第11歌に出てくる言葉で、「一日の花を摘め」という意味だそうです。どうせ死ぬんだから今を楽しもうということです。

そういうわけで、今回の展示は12人の現代作家の、枯れことを予感させる花や死ぬ事にかかわる作品が展示されています。

イケムラレイコさんは、昨年秋に東京近代美術館で「うつりゆくもの」という展覧会が開催されていたので記憶に残っています。近美では陶製の少女が床に転がっていましたが、今回はそのメメント・モリ・バージョンで作品名も《メメント・モリ》という陶製の女性の腐敗した死体が床に転がっています。ストレートな表現ですが感じるものがあります。

インパクトがあったのは、伊藤薫さんの《Angela Reynolds wears Valentino》という作品で、きれいなドレスを着て死んでいく女性が写真になっています。バレンティノを着たアンジェラ・レイノルドさんは美しい顔をして木に引っかかっています。こんな死に方も悪くは無いと思ってしまいます。

荒木経惟さんは、奥さんとの新婚旅行の《センチメンタルな旅》シリーズの作品と、奥さんが死んだときの《冬の旅》シリーズの作品が並べて展示されています。ここにあるのはリアルな現実を作品に昇華させた形です。

宮島達男さんは、《Death Clock》、それぞれの人の死ぬまでの時間を時計が刻んでいきます。何十人ものDeath Clockが展示されているのは、気味悪くもあり一種壮観。

この展覧会には何か気になるものがあります。おもわず、まだ完成していない展覧会図録を予約して帰ってきました。

「カルペ・ディエム 花として今日を生きる」展は、豊田市美術館で、2012年9月23日までです。

2012年8月18日土曜日

村山知義の宇宙展 世田谷美術館

世田谷美術館で「村山知義の宇宙」展が開催されています。

村山知義は、ベルリンで学び、ダダや構成主義の洗礼をうけ、日本に戻り、大正から昭和にかけて前衛美術運動を展開した人です。

1925年に制作され、現在東京国立近代美術館に所蔵されているコラージュ作品《コンストルクチオン》は見たことはありましたが、今回の展覧会を見て改めてどのような活動をした人だったのかがわかりました。

村山知義が行ったことを列挙すると、

  • コラージュ作品の制作
  • 前衛美術家グループ「マヴォ」「三科」の結成
  • ダンス・パフォーマンスの実演
  • 芸術理論の出版
  • 舞台装置の制作
  • 小説の出版
  • 脚本家
  • 演出家
  • 子供向け雑誌のイラスト
と何でも行った人です。

20世紀前半の、日本の前衛的といわれていた美術の動向を勉強するには、良い展覧会だと思いますが、細かい文書資料も多いので、じっくり取り組んで見ないと、この展覧会の良さはわからないかもしれません。私の場合には、演劇関係の展示は、「猫に小判」的でした。

「村山知義の宇宙 すべての僕が沸騰する」展は、世田谷美術館で、2012年7月14日から9月2日の開催です。

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012

2012年7月29日から9月17日まで、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012」が行われています。2000年から始めた大地の芸術祭は、今年第5回目になっています。

トリアンナーレなどの定期的に開催される現代美術のイベントもずいぶんたくさん行われるようになりました。、2011年には第4回「横浜トリエンナーレ」、2010年に最初の回が行われた「愛知トリエンナーレ」、これも2010年に最初の回が行われた「瀬戸内国際芸術祭」。

それぞれが都市で行われたり、地方で行われたり、美術館の協力を得て行ったりと、多様な展開を見せ、訪れるとそれぞれ異なった印象を受けます。

今日は、越後妻有アートトリエンナーレをバスで廻るツアーに参加しました。日帰りだったので、十日町エリアと《光の館》を含む一部の川西エリアしか観られなかったのが残念でしたが、それでも楽しめました。

妻有で3年おきに開催されているトリエンナーレは、越後妻有という地域文化を持っている地域に、また過疎などのマイナス面も含めて典型的社会状況をもった地域に対して、現代美術という定義も定かでないものをぶつけることにより、地域とアートの可能性を追求しようとしたのだと思います。それに、今回は、美術館のような顔を持った「越後妻有里山現代美術館キナーレ」が加わりました。

そんな中で、引きつけられた作品は

  • キナーレの中庭の大きなスペースを使って展示されているインスタレーション、クリスチャン・ボルタンスキーの《No Man's Land》。これは古着を大きな山と積んで、その上方から巨大クレーンで古着をつまんだり落としたりするもの。古着は人間がいなくなった後の人間の残骸を思わせ不気味。
  • キナーレの中にある、墨で造った立体作品。山本浩二の《フロギスタン》。この作品には自然の暖かさともろさがあります。一つ欲しいけれどもすぐに壊しそう。
  • 十日町駅からはだいぶはなれた所にある枯木又で、京都精華大学が行っている枯木又プロジェクトの中の、小松敏宏の《Snow Room》。雪が溶けた水が入っている小瓶をたくさん積み上げた作品。コンセプトが面白い。
  • もぐらの館の中の、田中哲也の《輝器》。焼き物で光る物体を造る。発想も面白いが、発光している姿が美しい。
越後妻有トリエンナーレが、また機会を見つけて、行ってみたいイベントであることは、たしかです。


2012年8月5日日曜日

大英博物館古代エジプト展 森アーツセンターギャラリー

今、何故かエジプト展が重なっていますが。古代エジプト人の死生観や、死者があの世にうまくいけるようにするための呪文に興味がある方は、森アーツセンターギャラリーで開催されている、《大英博物館古代エジプト展》に行ってみてはどうでしょうか。「死者の書」に関して丁寧に説明されています。

「死者の書」は死後ちゃんとあの世に行き、復活できるようにするための、旅行ガイドのようなもので、途中で旅を妨げるような者がでてきたり、前世の行いを計られたりするとき、どのようにすれば良いかが書かれているわけです。

世界で一番長いといわれる、大英博物館所蔵の、ネシタネベタイシュルウのために作られた、全長37mに及ぶ死者の書が展示されていますから、見に行って損は無いと思います。太陽神「ラー」とか、冥界の王「オシリス」とか、「バー」とか「カー」とか言う精霊のこともわかるようになります。

お約束のミイラも2体出ていますが、むき出しではないので、ミイラ嫌いの方でも大丈夫だと思います。

造型的には、顔と足は横を向いていて肩は正面を向いているエジプト型の人がたくさん出てきますが、どれも同じだなと思ってしまいます。同じ墓の中に入れられた図像でも、中国の漢代画像石ではもっと作者の創意工夫があって図像自体が面白いのですが、この差はどこからくるのでしょうか。そこが文明の違いなのか、興味があります。

森アーツセンターギャラリーで9月17日までの開催です。

2012年8月4日土曜日

久隅守景 夕顔棚納涼図屏風 東京国立博物館

今、東京国立博物館の総合文化展の7室で、久隅守景の《納涼図屏風》が展示されています。

久隅守景は狩野探幽の弟子で江戸時代前期の画家ですが、狩野派をはなれて活動をしていたため、生没年や経歴の詳細は不明ということです。

《納涼図屏風》は一般には《夕顔棚納涼図屏風》といわれる二曲一隻の屏風で、小さな貧しい小屋から張り出した夕顔棚の下に「ござ」を敷き、親子三人がほとんど裸で簡単な着物を付けただけで涼んでいる図です。女性なんかは上半身裸です。

図版では見ていたのですが、実物は初めて見たので、こんなに大きい絵だったのかと改めて思いました、もちろん屏風ですから大きいわけですが、図録ではそんな感じがしなかったということです。
夕顔棚というのもあまり知らなかったのですが、藤棚のような棚に夕顔がはわせてあるもののようです。ちなみにGoogleで「夕顔棚」と検索してみると、ほとんどこの《夕顔棚納涼図屏風》が引っかかってくるというのは、夕顔棚というのは珍しいものなのでしょうか。このへんは私も良くわかりません。
夕顔のさらっとした筆のタッチや、涼しげな親子など、見ているだけでも涼しく気持ちいいだろうなと思わせる絵です。

17世紀の作品ですから、日本でもヨーロッパでも僧侶や貴族でない一般人が好むような風俗画が描かれた時代の作品と言えるのだと思いますが、こんなにも何もしていない人が描かれた絵というのは世界にも珍しいのではないでしょうか。オランダの風俗画などでは、飲んで乱痴気騒ぎをしたり、手紙を書いたり、家事をしていたり、何かしています。

涼しい絵を見たいという方、世の中ぼんやりしてても良いではないかと思われる方、9月2日までに東京国立博物館に言ってみたらどうでしょうか。