2012年9月22日土曜日

ドビュッシー、音楽と美術 ブリヂストン美術館

土曜日の夜にブリヂストン美術館の「ドビュッシー、音楽と美術」展へ。

ブリヂストン美術館の土曜の夜は空いていることが多いので、今回もそうかなと思って行くと、なんと大違いで、大勢の観客がいてびっくりしました。ドビュッシーに人気があるのか、オルセーとオランジェリーから来ている作品に人気があるのか、どちらでしょうか。もちろん、この展覧会企画が良かったということもあるでしょうけれど・・・。

一見して感じたのは、19世紀末から20世紀にかけてのドビュッシーが活躍した時代の雰囲気でした。美術で言えば、ポスト印象主義、アールヌーヴォーの時代です。ドビュッシーの音楽を聞いている限り、音楽という抽象化が進んだ世界のせいか時代感をそれほど感じなかったのですが、こう並べてみるとまさに世紀の転換期の雰囲気。

私が気に入ったのは、たくさん展示されていたモーリス・ドニの作品の中から、《ミューズたち》、《木々の下の人の行列》、《イヴォンヌ・ルロールの肖像》と、エミール・ガレの作品、《たまり水》、《蜻蛉草花文花瓶》、《過ぎ去りし苦しみの葉》。

以前も日本に来ていましたが、ナビ派のもとになったといわれる、ポール・セリュジエがゴーギャンの手ほどきを受けて描いた《タリスマン》も注目です。

「ドビュッシー、音楽と美術 印象派と象徴派のあいだで」は、ブリヂストン美術館で10月14日まで開催です。

2012年9月16日日曜日

ジェームス・アンソール 写実と幻想の系譜 損保ジャパン東郷青児美術館

今日は不安に思いながら、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館へ。何が不安かというと、美術の本の図版などで観るかぎり、今までのところ、ジェームス・アンソールが好きになれていないからです。まあ、こういう不安は的中してしまうこともあるし、観たら良いじゃないということになることもあるので、予見をもたずに行ってみましょう。

メインの作品は、やはり、仮面の人が着飾ってひしめいている《陰謀》、骸骨が部屋の中を騒いで廻る《首吊り人の死体を奪い合う骸骨たち》、骸骨の姿の画家がイーゼルの前に立つ《絵を描く骸骨》。象徴表現主義的な(一言で言ってしまえばグロテスクな)作品ばかりでなく、もっと早い時代の風景画の作品なども多く展示されていました。

結論から言ってしまうと、私にとっては、どうもねというのが正直な感想。仮面とか骸骨とかインパクトのある素材を使っているのだけれども、そういったものに対する文化的素養の差か、「それで・・・」というような気になってしまいます。

珍しい作品であることは間違いないので、興味のある方は行ってみたらどうでしょうか。損保ジャパン東郷美術館で、2012年11月11日まで開催です。


2012年9月15日土曜日

辰野登恵子・柴田俊雄 与えられた形象 国立新美術館

 「与えられた形象」というタイトルで、辰野登恵子(たつのたえこ)と柴田俊雄(しばたとしお)の2人展が、国立新美術館で開催されています。

 辰野登恵子さんは色彩豊かな抽象絵画の画家。柴田俊雄さんは人工物の風景を写真にする写真家。その2人の「与えられた形象」(英語で言うと"Given Forms")というタイトルの展覧会です。
 
 辰野登恵子さんは、まず、絵の大きさが気持ち良い。例えば《UNTITLED 94-3》という作品は227.0 X 182.0cm。他の作品もだいたい同じくらいのサイズの作品になっています。このくらいの大きさの作品が、国立新美術館のようなホワイト・キューブの中に展示されていると、観るものと絵との関係がすごく良い。東京国立近代美術館の「ポロック展」でも思いましたが、やはり絵の大きさはすごく大事です。
 次に良い感じなのが、描かれる対象(それが具体的なものであれ、心象的なものであれ)であるオブジェクトと、画面のイメージの関係が、絵の枠の中で相互に浸食していく感覚。大きな形を見ていると、知らず知らずのうちに、目は表面の絵具の動きに移っています。絵の色彩の変化や色彩の接続を楽しんでいると、そこにある大きな構図に気づきます。それが何度も繰り返すような感覚があります。そこには大きな構造と微妙な表現が共存しています。
 とにかく、一つの絵の前に長い間いてもまったく飽きることがありません。

 柴田俊雄さんが撮る写真は、大規模な土木工事が多く、それは大きなダムであったり、土砂崩れを防ぐ土留めであったりします。繰り返し現れる人工物の形、積み重ねられたコンクリートのブロック、延々と続く細い鉄製の階段。でも、それらの人工物も自然の中にあるため、直線や平面を主張することはできずに、山や土や川の動きに合わせた空間の歪みを受け入れなければいけません。
 隅々にまでフォーカスされて、中心も無く周辺も無い、自然と人工物の造形が、カメラの枠で切断され、美術館の壁に現れています。カメラはそれぞれの土地に結びついた構造物を再現しているはずですが、感じるのは土地との結びつきを感じない抽象的な構成です。

 2人は東京藝術大学の同級生で、ポップ・アートやミニマル・アートの時代に、それぞれのアートを作り上げていきました。今では異なる様式で制作していますが、このような2人展であらためて作品を並べてみると、そこには何か共通するものを感じます。

 かなり気に入ったので、帰りがけに図録を買いましたが、これがかなりの大作。図録を手渡されるとき「重いですよ」といわれて持ってみると、本当に重いのでビックリ。

 「与えられた形象」展は、国立新美術館で、10月22日までの開催です。

2012年9月2日日曜日

京都へ、現地調査

美術館やトリエンナーレも良いですが、たまには美術品を現地で見てみようということで、夏休みをかねて一泊二日で王道の京都へ行ってきました。とりあえず今回はメジャーな所です。

一日目

  • 東寺、講堂の立体曼荼羅。昨年、東京国立博物館で行われた「空海と密教美術展」にも何体かは貸し出されていましたが、やはり現地ですべての像がそろっていると迫力があります。中でも惹かれたのは、四隅に配置されている、持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王と、梵天でしょうか。
  • 神護寺、薬師如来立像。高雄のバス停から、川まで降りてまた対岸を上るので、暑い中ちょっと大変です。本尊の薬師如来は、平安初期の一木造りの像で、威圧感のある容姿です。腕が太いのが印象的。残念ながら、像の近くに寄れず細部は良く見えませんでした。
二日目
  • 清涼寺、釈迦如来立像。保津川をトロッコ列車で見てから、嵯峨野の清涼寺へ。清涼寺の釈迦如来像は、北宋で造られたもので、釈迦38歳の姿を写したと言われる像。衣を通肩に着け、スリムな姿。
  •  養源院、俵屋宗達の杉戸絵。獅子、象、麒麟の造形が「へん」で面白い。ついでに、血の付いた天上の説明もしてくれます。(血の跡の方がメインで見に来る人もいるかもしれませんが・・・)
  • 智積院、長谷川等伯・長谷川久蔵の障壁画。これはもともと秀吉の遺児鶴松の菩提を弔いために造られた祥雲寺の障壁画。等伯らしく判りやすい「きれいさ」に感心。
やっぱり、美術作品をその関わりがある土地で観るのは良いですね。楽しい2日間になりました。