2012年1月31日火曜日

宋の山水画、北京故宮博物院200選展に触発されて

今、東京国立博物館で「北京故宮博物院200選」展が行われており、宋時代の絵画作品も良いものが展示されています。せっかくですから、理解を深めるために、中国宋時代の山水画について少し整理してみます。

絵の話に入る前に、中国の宋の時代に関して調べてみました。
宋は、唐が滅びた後の五代十国の時代を経て中国を統一した王朝です。宋王朝の中でも960年から1127年までを北宋と言い、女真族の金に攻められ南に逃げ延びた後1127年から1279年を南宋と言います。北宋の都は《清明上河図》に書かれていた開封。南宋の都は臨安です。南宋も1279年にモンゴル(元)に滅ぼされます。
宋の時代は、北方に遼、西夏、金、モンゴル(元)など強い国があり北からの脅威にさらされ続けましたが、国内は軍よりも文を重んじ、文人官僚が社会を支配します。
農業・商業は唐の時代に比べ大きく発展しました。灌漑が進み農業生産が増え、鉄の生産量も増え、都市化も進みます。紙幣が初めて作られるのも宋の時代です。

それでは宋の山水画を、描いた人毎に整理してみます。最初は宋の前の五代から始めます。
  • 荊浩(けいこう)、五代の人。乱世を避け山にこもって山水画を描く。伝承作品《匡櫨図》は山頂を仰ぎ見る高遠の構図、墨のタッチで山岳の量感・質感を表す皴法(しゅんぽう)。華北水墨山水画の基礎的表現。
  • 董源(とうげん)、五代から北宋初期の人。江南の水郷風景を俯瞰で描く。丸みを帯びた山、水平線を強調。南宋画の祖といわれる。
  • 関同(かんどう)、長安に出る。荊浩の弟子。
  • 李成(りせい)、開封に上るが、終生在野で仕事をする。華北の実景的水墨山水画を大成。《茂林遠岫図巻》の評価は高い。
  • 巨然(きょねん)、開封で仕事をする。董源の作風と華北の作風を統合する。伝承作品に《層巖叢樹図》。
  • 范寛(はんかん)、華原出身。《谿山行旅図》は切り立った山岳描写。《雪景寒林図》は北宋の大きな画面の代表作。范寛のころ華北山水画が全盛となる。
  • 王希孟(おうきもう)は宮廷画家。《千里江山図》は景物を密に細かく表現。
  • 許道寧(きょどうねい)、超現実的な傾向。
  • 郭煕(かくき)、これまでの華北の画家とは異なり宮廷画家。高遠・平遠・深遠の三遠法に基づく山水画を得意とする。《早春図》が代表作。《山村図軸》はそこに行きたいと思わせる。
  • 米友仁(べいゆうじん)、金の侵入で江南に逃れる。文人画を定着させる。董源、巨然の作風を再現し、米法山水を作る。《瀟湘奇観図巻》は文人画家として心象風景を描く。
  • 李唐(りとう)。南宋の院体画家。院体画も江南山水画的な平明なものになる。
  • 劉松年(りゅうしょうねん)、南宋の院体画家。
  • 馬遠(ばえん)、南宋の院体画家。辺角の景が有名。
  • 夏珪(かけい)、南宋の院体画家。《渓山清遠図》の景観描写は南宋山水画の理想とされる。
以上、美術出版社『カラー版東洋美術史』などを参考にしました。

この後は元の文人画になり、今回東京国立博物館にもきている趙孟頫などが出てくるのですが、それは又別に整理してみようと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿