サントリー美術館で、「毛利家の至宝 大名文化の精粋」展が開催されています。毛利家ゆかりの宝物で大名文化を改めて感じようという展覧会です。4月27日金曜日の夜に見に行きました。
肖像画、刀剣、書状、典籍、婚礼調度、茶道具などがあり、国宝7点、重要文化財20点と、見所満載です。
そうはいっても、私の最大関心事は、雪舟の《山水長巻》ですので、入場した後直ぐに直行。作品の前は、拍子抜けするほどすいていました。東博の「ボストン美術館展」など、立ち止まらないでなどと言われながら見る展覧会と比べると、雲泥の差です。
《山水長巻》は長さ16メートル、とにかく長い作品です。
端の方から見ていくと、これが雪舟だというごつごつした岩が目に入ります。そして山水画のお決まり、高士が童士をつれて道を歩いています。これから山水画がはじまると嬉しくなる瞬間です。
16メートルの絵をゆっくり見ていくと、樹の描き方には、松の描き方、杉の描き方、落葉樹の描き方、近くの樹の描き方、遠くの樹の描き方のパターンがあり、岩の描き方には、近くのごつごつした岩の描き方、上面が平らな岩の描き方、天から降りてくるような岩の描き方、穴が開いた岩の描き方のパターンがあります。人の描き方もパターン化しているようです。このような部品とも言えるパターン化したものを、近景、中景、遠景の中に、うまく配置し、水や空白の部分を置き、薄墨を使い空気遠近法のように奥行きを表現し、全体をひとつの作品として見せるようにしているのだということがわかります。もちろん、ただ部品を配置している作品ではなく、全体の構成、各部分の構図、樹や岩などのパーツの表現の仕方に、雪舟らしい大胆さや力強さがあります。
《山水長巻》は《四季山水図》ともいわれ、四季が描かれているはずなのですが、冬が雪山でわかりやすい以外は、意外に季節のシンボルとなるようなものが少なく、見終わってから、あれ、四季はどうだったのかなという感じです。絵の少しの変化を感じ、どこが春、夏、秋なのか探してみるのも楽しみの一つかもしれません。
今回近くで見て、水墨画といっても色が付いているのだなというのも、発見でした。水や岩には青、樹の葉には緑、花が実には赤、人の衣には茶や白などの色がついています。濃い色ではないのですが、これらの色が、墨の濃淡と組み合わせられて、絵をたいへん魅力的なものにしています。
絵の近くで、じっくり時間をかけて鑑賞でき、大満足でした。
サントリー美術館、「毛利家の至宝 大名文化の精粋」展は、2012年4月14日から5月27日までの開催です。
Musaとはギリシャ神話で文芸の女神です。MusicやMuseumの語源にもなっています。Sphereは英語で分野・領域の意味です。このブログの名前は、このMusaとSphereを合わせました。美術・アートに関して、いろいろ書いてみたいと思います。
2012年4月28日土曜日
2012年4月22日日曜日
根津美術館 KORIN展
昨日、初日でしたが、根津美術館で開催された「KORIN展」に行って来ました。
なんといっても、今回は、根津美術館所蔵の《燕子花図屏風》とメトロポリタン美術館にある《八橋図屏風》が並べて展示指定あるのが目玉になっています。同じ伊勢物語の八橋を題材にした絵ですが《燕子花図屏風》を書いてから《八橋図屏風》までには10年の隔たりがあります。
感想は、同じ伊勢物語の場面からとったにしても、《燕子花図屏風》は燕子花を描いていて、《八橋図屏風》は八橋を描いているな、というものです。なんだ、タイトル通りで何を言っているんだと思われるかもしれませんが、じっと見ていると《燕子花図屏風》からは燕子花の変奏曲のような心地良いリズムが聞こえてきます、それに対して《八橋図屏風》では燕子花はいくつかのかたまりのマスになっていて、それよりも垂れ流し技法で描かれた橋の素晴らしさや構図の斬新さが見えてきます。
同時に展示されていた、光琳の《夏草図屏風》《四季草花図屏風》もなかなか良い感じでした。
以下、伊勢物語より、
むかし、男ありけり。
その男、身をえうなきものに思ひなして、
京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。
もとより友とする人、ひとりふたりして、いきけり。
道知れる人もなくて惑ひ行きけり。
三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。
そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ八橋といひける。
その沢のほとりの木の蔭に下り居て、餉(かれいひ)食ひけり。
その沢に、かきつばたいとおもしろく咲きたり。
それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を、句の上に据ゑて、旅の心をよめ」といひければよめる。
からごろも 着つつなれにし つましあれば
はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人、餉の上に涙落して、ほとひにけり。
なんといっても、今回は、根津美術館所蔵の《燕子花図屏風》とメトロポリタン美術館にある《八橋図屏風》が並べて展示指定あるのが目玉になっています。同じ伊勢物語の八橋を題材にした絵ですが《燕子花図屏風》を書いてから《八橋図屏風》までには10年の隔たりがあります。
感想は、同じ伊勢物語の場面からとったにしても、《燕子花図屏風》は燕子花を描いていて、《八橋図屏風》は八橋を描いているな、というものです。なんだ、タイトル通りで何を言っているんだと思われるかもしれませんが、じっと見ていると《燕子花図屏風》からは燕子花の変奏曲のような心地良いリズムが聞こえてきます、それに対して《八橋図屏風》では燕子花はいくつかのかたまりのマスになっていて、それよりも垂れ流し技法で描かれた橋の素晴らしさや構図の斬新さが見えてきます。
同時に展示されていた、光琳の《夏草図屏風》《四季草花図屏風》もなかなか良い感じでした。
以下、伊勢物語より、
むかし、男ありけり。
その男、身をえうなきものに思ひなして、
京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。
もとより友とする人、ひとりふたりして、いきけり。
道知れる人もなくて惑ひ行きけり。
三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。
そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ八橋といひける。
その沢のほとりの木の蔭に下り居て、餉(かれいひ)食ひけり。
その沢に、かきつばたいとおもしろく咲きたり。
それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を、句の上に据ゑて、旅の心をよめ」といひければよめる。
からごろも 着つつなれにし つましあれば
はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人、餉の上に涙落して、ほとひにけり。
2012年4月16日月曜日
ボストン美術館 日本美術の至宝 2回目
昨日の日曜日、東京国立博物館で開催されている「ボストン美術館 日本美術の至宝」展に、2度目になりますが、行ってきました。今回は、日本美術や東洋美術のセミナーを受講している皆さんと一緒です。
前回見たときには、展覧会前半にある、平安時代から鎌倉時代にかけての、仏画、仏像、絵巻に大変興味をそそられ、今回も、もう一度それらの作品を見るのを楽しみにしていきました。前回はすぐ目立つ《馬頭観音菩薩像》や快慶の《弥勒菩薩立像》に目がいったのですが、今回は歴史的に価値がある鎌倉時代の《法華堂根本曼荼羅図》や平安時代前期の《菩薩立像》に引きつけられました。ボストン美術館には、本当に良いものが揃っていて、保存状態も良いのに、改めて感心します。
展示後半では、実は今まで、醜悪としか言いようのない仙人などがでてきて、まったく好きでなかった曽我蕭白を、もしかしたら面白いかもしれないと感じてしまいました。
今回来ている中では、やはり《雲龍図》でしょうか。1763年作ですから江戸時代中期です。高さは165cm、幅は135cmの襖8枚分ありますから、全体では幅が1080cmです。しかも展示されているのは龍の頭と尻尾の部分だけで、実際には胴の部分があったはずということですからすごく巨大な絵ということになります。西洋画で大きいといわれるダヴィッドの《ナポレオンの戴冠式》は高さ621cm、幅979cmですから、横幅では蕭白のほうが勝っていますね。しかもダヴィッドは大勢の人を描いて絵が大きくなっているのに対して、こちらは一匹の龍が全体を占めているわけで、大迫力です。蕭白の絵師としての実力はすごいなと感じます。
帰りに立ち寄った、本館の狩野長信筆、国宝《花下遊楽図屏風》も見ごたえがあり、良い一日でした。
2012年4月14日土曜日
ジャクソン・ポロック展 2回目
今、東京国立近代美術館で行われているジャクソン・ポロック展は既に一回見に行ったのですが、その後、ジャクソン・ポロックのセミナーを聴講したり、図録を見たりしたので、改めて興味が募り、今日もう一度展覧会を見に行きました。
今日は二度目なので、順路を無視して、最初にポロックが作品を作っているフィルムを見に行きました。なるほど、最盛期の描き方は、絵具を撒き散らすドリッピングというよりも絵具を垂らすポーリングですね。床に置いた絵の周りを廻り、休み無く筆を動かす様子からは、後にこれがアクション・ペインティングと呼ばれたのも良くわかります。
次に、今回の目玉と言われる、テヘラン現代美術館の《インディアンレッドの地の壁画》へ。この作品は今回の展覧会の中では大きく、183cm × 243.5cmの大きさですが、ポロックのベストの作品の大きさからすると、小さめですね。例えば、MOMAにあある《One:Number31》だと、269.5cm x 530.8cm もあります。それでも、絵の中心が無いオールオーバーである事や、地と図の関係を無くしたり、絵具の塗り重ねで表現する等、ポロック最盛期の特徴は十分に判ります。
ここで、改めて、会場の入り口の方に戻り、最初の方から見て行きます、この展覧会は年代順に展示されているので、ポロックの年に沿った作品の展開が良くわかります。
西海岸から出てきて、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで学び、アメリカ地方主義、インディアンの伝統、メキシコの壁画などから影響を受け、試行錯誤をした時代が1941年くらいまで続きます。そこから何がきっかけか、シュールリアリズムの自動筆記的なものや、地と図に関する研究を行い、アメリカの現代作家としてもてはやされる時代になります。これが30代。そこから大きく飛躍し36才から38才くらいが、いわゆるポロックらしい全盛期の作品になります。《インディアンレッドの地の壁画》もこの時代の作品です。しかし、最盛期でありながら、ポーリングした後に銀の絵具を塗ったり、画面を大きく切り取ったり、ここで止まらないという意志が見える作品も出てきます。そこから39才以降は、ブラック・ポーリングなど迷いの時代に入って行き、42才くらいになると行き詰まり作品を作れなくなります。最後は44才に自動車事故で亡くなります。
今回の展覧会は、ポロックの、成長、さまざまな試行、最盛期、迷い、停滞の、生涯が良くわかる構成になっています。
最後に出口の所にある、アトリエの再現で、写真を一枚。上の写真です。
この展覧会では、その後世界のアートシーンがどうなったのかまでは示されていませんが、ポロックの後どうなったのか、学習してみたいテーマです。オールオーバーを追求してカラーフィールド・ペインティングに行く方向、抽象から転換してポップ・アートに行く方向。いずれにしろポロックが行き着くとこまで行ってくれたおかげで現代アートは次に展開して行く事になります。
(追伸) 東京国立近代美術館開館60周年記念手帳を入手できました。しかも表紙はポロック。嬉しいですね。
2012年4月9日月曜日
南條史生 アートを生きる
出張先で本屋さんに行くと、気になる本に出会えることがあります。
今日見つけたのは、南條史生さんの『アートを生きる』でした。まだ3月31日に発行されたばかりです。
南條さんは、今は森美術館館長ですが、今までヴェネチア・ビエンナーレに関わられたり、横浜トリエンナーレの第一回目を手がけられたり、さまざまな美術イベントのキュレーションをされています。今回の本は、その南條さんが若い頃から今に至るまで、何をされたのか書かれた本で、あああれかと思い出すイベント、あの人の事かと興味を引かれる作家や美術関係者がたくさん出てきます。
読みはじめると、そのライブ感に引き込まれて、新幹線の中で一気に読んでしまいました。
キュレータとして活躍された理由は、時代を読む力、新しいことに関する好奇心、人とのネットワークを築く力、チャンスを逃さない強い姿勢にあったのだなということが良くわかります。
本を読んでいるだけでは物足りなくなり、家に帰るのを遠回りして、この本の中でも紹介されている、南條さんが関わられた横浜の上大岡のパブリックアートまで見に行ってしまいました。ここにある写真がそれで、奈良美智さんの作品です。
現代美術のキュレーションに興味がある方は、一読してみたらどうでしょうか。
南條史生「アートを生きる」、角川書店、 2012
2012年4月8日日曜日
出光美術館 悠久の美 唐物茶陶から青銅器まで
出光美術館で、収蔵品から中国関係のコレクションが展示されています。
展覧会のサブタイトルに「唐物茶陶から青銅器まで」とありますが、普通に年代を追って考えると「青銅器から唐物茶陶まで」となるのではないかと思いますが、それが逆転している所が面白い所です。つまり、日本での中国美術品の受容は、鎌倉時代から室町時代に、唐物といわれる南画や陶器が入ってきたのが元になっていて、中国の夏・商(殷)・周の物品はだいぶ後になって関心がもたれるようになった、ということをこの展覧会のサブタイトルは表しています。
今回の展覧会は、出光コレクションの中から、唐物と、唐物以前の青銅器を中心に玉器や陶磁器が展示されています。
特に今回は青銅器の展示が多いのですが、出光コレクションのこれだけまとまった青銅器の展示は13年ぶりのことだそうです。
今年は、東京国立博物館の「北京故宮博物院200選」展にも大きな青銅器が何点も来ていましたし、泉屋博古館では「中国青銅芸術の粋」展が行われ住友コレクションの青銅器の充実ぶりを示していました、青銅器に興味がある人にはたまらない展覧会が続いています。
この展覧会には商以前の物品の展示もあります。
展覧会のサブタイトルに「唐物茶陶から青銅器まで」とありますが、普通に年代を追って考えると「青銅器から唐物茶陶まで」となるのではないかと思いますが、それが逆転している所が面白い所です。つまり、日本での中国美術品の受容は、鎌倉時代から室町時代に、唐物といわれる南画や陶器が入ってきたのが元になっていて、中国の夏・商(殷)・周の物品はだいぶ後になって関心がもたれるようになった、ということをこの展覧会のサブタイトルは表しています。
今回の展覧会は、出光コレクションの中から、唐物と、唐物以前の青銅器を中心に玉器や陶磁器が展示されています。
特に今回は青銅器の展示が多いのですが、出光コレクションのこれだけまとまった青銅器の展示は13年ぶりのことだそうです。
今年は、東京国立博物館の「北京故宮博物院200選」展にも大きな青銅器が何点も来ていましたし、泉屋博古館では「中国青銅芸術の粋」展が行われ住友コレクションの青銅器の充実ぶりを示していました、青銅器に興味がある人にはたまらない展覧会が続いています。
この展覧会には商以前の物品の展示もあります。
- 良渚文化(前5200〜前4200)の、獣面文玉琮、獣面文鳥形玉
- 仰韶文化(前4800〜前2500)の、彩陶双耳壺
- 大汶口文化(前4300〜前2400)の、紅陶鬹
- 龍山文化(前2500〜前2000)の、玉琮片、黒陶高脚杯
- 二里頭文化(前2000〜前1600)の、玉戈、灰陶縄蓆文鬹
私は、今回の展覧会では、商時代の鴟鴞卣(しきょうゆう)が面白かったです。
鴟鴞はフクロウかミミズクで(フクロウと書いてある資料と、ミミズクとかいてある資料があります。手近にある図鑑では、耳のように立った「羽角」と呼ばれる羽毛があるのがミミズクだそうです)、卣は酒を入れるポットです。つまりミミズク型の酒入れです、中国古代の造形は何か変で興味を引かれます。
出光美術館、「悠久の美 唐物茶陶から青銅器まで」展は、2012年4月3日から6月10日までの開催です。
2012年4月5日木曜日
セザンヌ パリとプロヴァンス
昨日、仕事が休みだったので、国立新美術館で始まっている「セザンヌ パリとプロヴァンス」展を見に行ってきました。
今回のセザンヌ展は、単なる回顧展ではなくパリでの制作とプロヴァンスでの制作を対比して見てみようというものです。
生まれ育った場所で、ある意味引きこもって制作できるプロヴァンス。新たな芸術の潮流があり、さまざまな批判にもさらされるパリ。ゴシックの伝統を持つ表現主義的なフランス北部。ロマネスクからつながる構成主義的な伝統を持つフランス南部。セザンヌはその間を20回以上往復したそうです。
展覧会は、初期、風景、身体、肖像、静物、晩年に分けて構成されています。また、作品それぞれには、パリとパリ周辺のイル=ド=フランスで制作された作品と、プロヴァンスで制作された作品とで、キャプションを色分けし、観客に2つの制作場所のどちらで制作したのかわかった上で作品を見るように促す仕掛けになっています。
今回、90点近くあるセザンヌの作品を見て感じるのは、一つは、セザンヌ自ら「印象主義を美術館の作品のように堅固で永続的なものにしたい」と言ったように、それぞれの絵が持つ存在感、二つめは、絵具を筆でキャンバスの上にのせていくことに対する心地良い感じ。
展示会企画者のパリとプロヴァンスという視点も含めて、セザンヌがどうしてこのような絵を描いていったのか、より理解を深めたいと思わせるような展覧会でした。
「セザンヌ パリとプロヴァンス」展は、国立新美術館で、2012年3月28日から6月11日まで開催です。
今回のセザンヌ展は、単なる回顧展ではなくパリでの制作とプロヴァンスでの制作を対比して見てみようというものです。
生まれ育った場所で、ある意味引きこもって制作できるプロヴァンス。新たな芸術の潮流があり、さまざまな批判にもさらされるパリ。ゴシックの伝統を持つ表現主義的なフランス北部。ロマネスクからつながる構成主義的な伝統を持つフランス南部。セザンヌはその間を20回以上往復したそうです。
展覧会は、初期、風景、身体、肖像、静物、晩年に分けて構成されています。また、作品それぞれには、パリとパリ周辺のイル=ド=フランスで制作された作品と、プロヴァンスで制作された作品とで、キャプションを色分けし、観客に2つの制作場所のどちらで制作したのかわかった上で作品を見るように促す仕掛けになっています。
今回、90点近くあるセザンヌの作品を見て感じるのは、一つは、セザンヌ自ら「印象主義を美術館の作品のように堅固で永続的なものにしたい」と言ったように、それぞれの絵が持つ存在感、二つめは、絵具を筆でキャンバスの上にのせていくことに対する心地良い感じ。
展示会企画者のパリとプロヴァンスという視点も含めて、セザンヌがどうしてこのような絵を描いていったのか、より理解を深めたいと思わせるような展覧会でした。
「セザンヌ パリとプロヴァンス」展は、国立新美術館で、2012年3月28日から6月11日まで開催です。
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