2011年11月27日日曜日

横尾忠則さんの『芸術の陰謀』評

今日(2011年11月27日)、朝日新聞朝刊の書評欄に、横尾忠則さんがジャン・ボードリヤールの『芸術の陰謀 消費社会と現代アート』に対して書いた記事が載っています。

横尾忠則さんの趣旨は次のようなものです。

  • 1960年代のポップアートを語る上でボードリヤールの「消費社会と現代アート」は的確なフレーズであり、その代表的なアーティストはアンディ・ウォーホールであると言うのはその通り。しかし・・・・
  • ボードリヤールが言っている、「現代アートは無価値・無内容」は特に珍しい言説ではなく、フランス人の米国へのコンプレックスのようにも感じる。
  • ボードリヤールは人類学的な視点から(アートの視点ではなく)【()内は私の独断の補足です】、誰もが芸術の陰謀に加担している(意味なく価格をつりあげるような体系を作っている)というが、それがどうしたと言いたい。
  • ボードリヤールは「無価値・無内容」と言っただけで、その後何も示唆しないで終わっているが、実作者の創造の地平にたつ時、こんなことで幕は降ろされるべきではない。作品が「凡庸」であろうがなかろうが、未来は芸術家にとっては無制限の聖域である。
確かに、横尾忠則さんが言っているように、ボードリヤールは人類学的・社会学的な視点にたっていて、現代人は何かあるものに対して、価値があるとどう認識するのか、といったことに興味をもっているように思われます。
それに対して、横尾忠則さんは、やはり実作者の立場で、そんなことは関係なく創造を追求しているのだということになるのでしょう。

私には、どちらのテーマにも興味がありますね。

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