20世紀の「日本画」というのはどうも苦手な領域です。小林古径は1883年生まれ1957年没、奥村土牛は1889年生まれ1990年没ですから、どうみても20世紀の画家です。ちなみにピカソは1881年生まれ1973年没。デュシャンは1887年生まれ1968年没ですから同じ世代です。そこでどうも腑に落ちないのが、確かに古径の花はきれいだし、ネコはキュートだし、清姫はすさまじいのですが、なぜ20世紀にこれを描かなければいけないのかです。
分らないものは追求したいということで、山種美術館の「小林古径生誕130年記念 古径と土牛」に行ってきました。確かに、古径《清姫》連作の「寝所」の、白い衣を掛けて寝ている安珍、撫子色の十二単を着て屏風から除く清姫、全体を引き締める黄色の几帳の色の対比は見事だし、土牛の《蓮》のこの世のものとはおもえない緑色の雲に浮かぶ蓮の花には引き込まれるのですが。でも、「それでどうしたの」という思いはどうしても残ってしまいます。そこで何となく納得したのが、山種美術館で売っていた図録の最初のページに載っている、小林古径の写真を見たときでした。そこには、古径と土牛が着物を着て絵を描いている写真がのっていました。たぶん、着物を着て絵を描くような生き方が良くわかっていないから、古径や土牛が分らないのではないだろうかと。
そんなことを考えながら山種美術館を出て21世紀の恵比須に戻ってきましたが、どうもまだ良くわからないからまた見てみたいが続きそうです。
「小林古径生誕130年記念 古径と土牛」は山種美術館で2013年12月23日までです。
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