「与えられた形象」というタイトルで、辰野登恵子(たつのたえこ)と柴田俊雄(しばたとしお)の2人展が、国立新美術館で開催されています。
辰野登恵子さんは色彩豊かな抽象絵画の画家。柴田俊雄さんは人工物の風景を写真にする写真家。その2人の「与えられた形象」(英語で言うと"Given Forms")というタイトルの展覧会です。
辰野登恵子さんは、まず、絵の大きさが気持ち良い。例えば《UNTITLED 94-3》という作品は227.0 X 182.0cm。他の作品もだいたい同じくらいのサイズの作品になっています。このくらいの大きさの作品が、国立新美術館のようなホワイト・キューブの中に展示されていると、観るものと絵との関係がすごく良い。東京国立近代美術館の「ポロック展」でも思いましたが、やはり絵の大きさはすごく大事です。
次に良い感じなのが、描かれる対象(それが具体的なものであれ、心象的なものであれ)であるオブジェクトと、画面のイメージの関係が、絵の枠の中で相互に浸食していく感覚。大きな形を見ていると、知らず知らずのうちに、目は表面の絵具の動きに移っています。絵の色彩の変化や色彩の接続を楽しんでいると、そこにある大きな構図に気づきます。それが何度も繰り返すような感覚があります。そこには大きな構造と微妙な表現が共存しています。
とにかく、一つの絵の前に長い間いてもまったく飽きることがありません。
柴田俊雄さんが撮る写真は、大規模な土木工事が多く、それは大きなダムであったり、土砂崩れを防ぐ土留めであったりします。繰り返し現れる人工物の形、積み重ねられたコンクリートのブロック、延々と続く細い鉄製の階段。でも、それらの人工物も自然の中にあるため、直線や平面を主張することはできずに、山や土や川の動きに合わせた空間の歪みを受け入れなければいけません。
隅々にまでフォーカスされて、中心も無く周辺も無い、自然と人工物の造形が、カメラの枠で切断され、美術館の壁に現れています。カメラはそれぞれの土地に結びついた構造物を再現しているはずですが、感じるのは土地との結びつきを感じない抽象的な構成です。
2人は東京藝術大学の同級生で、ポップ・アートやミニマル・アートの時代に、それぞれのアートを作り上げていきました。今では異なる様式で制作していますが、このような2人展であらためて作品を並べてみると、そこには何か共通するものを感じます。
かなり気に入ったので、帰りがけに図録を買いましたが、これがかなりの大作。図録を手渡されるとき「重いですよ」といわれて持ってみると、本当に重いのでビックリ。
「与えられた形象」展は、国立新美術館で、10月22日までの開催です。
Musaとはギリシャ神話で文芸の女神です。MusicやMuseumの語源にもなっています。Sphereは英語で分野・領域の意味です。このブログの名前は、このMusaとSphereを合わせました。美術・アートに関して、いろいろ書いてみたいと思います。
2012年9月15日土曜日
2012年9月2日日曜日
京都へ、現地調査
美術館やトリエンナーレも良いですが、たまには美術品を現地で見てみようということで、夏休みをかねて一泊二日で王道の京都へ行ってきました。とりあえず今回はメジャーな所です。
一日目
一日目
- 東寺、講堂の立体曼荼羅。昨年、東京国立博物館で行われた「空海と密教美術展」にも何体かは貸し出されていましたが、やはり現地ですべての像がそろっていると迫力があります。中でも惹かれたのは、四隅に配置されている、持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王と、梵天でしょうか。
- 神護寺、薬師如来立像。高雄のバス停から、川まで降りてまた対岸を上るので、暑い中ちょっと大変です。本尊の薬師如来は、平安初期の一木造りの像で、威圧感のある容姿です。腕が太いのが印象的。残念ながら、像の近くに寄れず細部は良く見えませんでした。
二日目
- 清涼寺、釈迦如来立像。保津川をトロッコ列車で見てから、嵯峨野の清涼寺へ。清涼寺の釈迦如来像は、北宋で造られたもので、釈迦38歳の姿を写したと言われる像。衣を通肩に着け、スリムな姿。
- 養源院、俵屋宗達の杉戸絵。獅子、象、麒麟の造形が「へん」で面白い。ついでに、血の付いた天上の説明もしてくれます。(血の跡の方がメインで見に来る人もいるかもしれませんが・・・)
- 智積院、長谷川等伯・長谷川久蔵の障壁画。これはもともと秀吉の遺児鶴松の菩提を弔いために造られた祥雲寺の障壁画。等伯らしく判りやすい「きれいさ」に感心。
やっぱり、美術作品をその関わりがある土地で観るのは良いですね。楽しい2日間になりました。
2012年8月25日土曜日
カルペ・ディエム花として今日を生きる 豊田市美術館
豊田市美術館で、「カルペ・ディエム 花として今日を生きる」展が開催されています。
カルペ・ディエムとは、紀元前1世紀のローマの詩人、クィントゥス・ホラティウス・フラックスの『歌集』第1巻第11歌に出てくる言葉で、「一日の花を摘め」という意味だそうです。どうせ死ぬんだから今を楽しもうということです。
そういうわけで、今回の展示は12人の現代作家の、枯れことを予感させる花や死ぬ事にかかわる作品が展示されています。
イケムラレイコさんは、昨年秋に東京近代美術館で「うつりゆくもの」という展覧会が開催されていたので記憶に残っています。近美では陶製の少女が床に転がっていましたが、今回はそのメメント・モリ・バージョンで作品名も《メメント・モリ》という陶製の女性の腐敗した死体が床に転がっています。ストレートな表現ですが感じるものがあります。
インパクトがあったのは、伊藤薫さんの《Angela Reynolds wears Valentino》という作品で、きれいなドレスを着て死んでいく女性が写真になっています。バレンティノを着たアンジェラ・レイノルドさんは美しい顔をして木に引っかかっています。こんな死に方も悪くは無いと思ってしまいます。
荒木経惟さんは、奥さんとの新婚旅行の《センチメンタルな旅》シリーズの作品と、奥さんが死んだときの《冬の旅》シリーズの作品が並べて展示されています。ここにあるのはリアルな現実を作品に昇華させた形です。
宮島達男さんは、《Death Clock》、それぞれの人の死ぬまでの時間を時計が刻んでいきます。何十人ものDeath Clockが展示されているのは、気味悪くもあり一種壮観。
この展覧会には何か気になるものがあります。おもわず、まだ完成していない展覧会図録を予約して帰ってきました。
「カルペ・ディエム 花として今日を生きる」展は、豊田市美術館で、2012年9月23日までです。
カルペ・ディエムとは、紀元前1世紀のローマの詩人、クィントゥス・ホラティウス・フラックスの『歌集』第1巻第11歌に出てくる言葉で、「一日の花を摘め」という意味だそうです。どうせ死ぬんだから今を楽しもうということです。
そういうわけで、今回の展示は12人の現代作家の、枯れことを予感させる花や死ぬ事にかかわる作品が展示されています。
イケムラレイコさんは、昨年秋に東京近代美術館で「うつりゆくもの」という展覧会が開催されていたので記憶に残っています。近美では陶製の少女が床に転がっていましたが、今回はそのメメント・モリ・バージョンで作品名も《メメント・モリ》という陶製の女性の腐敗した死体が床に転がっています。ストレートな表現ですが感じるものがあります。
インパクトがあったのは、伊藤薫さんの《Angela Reynolds wears Valentino》という作品で、きれいなドレスを着て死んでいく女性が写真になっています。バレンティノを着たアンジェラ・レイノルドさんは美しい顔をして木に引っかかっています。こんな死に方も悪くは無いと思ってしまいます。
荒木経惟さんは、奥さんとの新婚旅行の《センチメンタルな旅》シリーズの作品と、奥さんが死んだときの《冬の旅》シリーズの作品が並べて展示されています。ここにあるのはリアルな現実を作品に昇華させた形です。
宮島達男さんは、《Death Clock》、それぞれの人の死ぬまでの時間を時計が刻んでいきます。何十人ものDeath Clockが展示されているのは、気味悪くもあり一種壮観。
この展覧会には何か気になるものがあります。おもわず、まだ完成していない展覧会図録を予約して帰ってきました。
「カルペ・ディエム 花として今日を生きる」展は、豊田市美術館で、2012年9月23日までです。
2012年8月18日土曜日
村山知義の宇宙展 世田谷美術館
世田谷美術館で「村山知義の宇宙」展が開催されています。
村山知義は、ベルリンで学び、ダダや構成主義の洗礼をうけ、日本に戻り、大正から昭和にかけて前衛美術運動を展開した人です。
1925年に制作され、現在東京国立近代美術館に所蔵されているコラージュ作品《コンストルクチオン》は見たことはありましたが、今回の展覧会を見て改めてどのような活動をした人だったのかがわかりました。
村山知義が行ったことを列挙すると、
村山知義は、ベルリンで学び、ダダや構成主義の洗礼をうけ、日本に戻り、大正から昭和にかけて前衛美術運動を展開した人です。
1925年に制作され、現在東京国立近代美術館に所蔵されているコラージュ作品《コンストルクチオン》は見たことはありましたが、今回の展覧会を見て改めてどのような活動をした人だったのかがわかりました。
村山知義が行ったことを列挙すると、
- コラージュ作品の制作
- 前衛美術家グループ「マヴォ」「三科」の結成
- ダンス・パフォーマンスの実演
- 芸術理論の出版
- 舞台装置の制作
- 小説の出版
- 脚本家
- 演出家
- 子供向け雑誌のイラスト
と何でも行った人です。
20世紀前半の、日本の前衛的といわれていた美術の動向を勉強するには、良い展覧会だと思いますが、細かい文書資料も多いので、じっくり取り組んで見ないと、この展覧会の良さはわからないかもしれません。私の場合には、演劇関係の展示は、「猫に小判」的でした。
「村山知義の宇宙 すべての僕が沸騰する」展は、世田谷美術館で、2012年7月14日から9月2日の開催です。
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012
2012年7月29日から9月17日まで、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012」が行われています。2000年から始めた大地の芸術祭は、今年第5回目になっています。
トリアンナーレなどの定期的に開催される現代美術のイベントもずいぶんたくさん行われるようになりました。、2011年には第4回「横浜トリエンナーレ」、2010年に最初の回が行われた「愛知トリエンナーレ」、これも2010年に最初の回が行われた「瀬戸内国際芸術祭」。
それぞれが都市で行われたり、地方で行われたり、美術館の協力を得て行ったりと、多様な展開を見せ、訪れるとそれぞれ異なった印象を受けます。
今日は、越後妻有アートトリエンナーレをバスで廻るツアーに参加しました。日帰りだったので、十日町エリアと《光の館》を含む一部の川西エリアしか観られなかったのが残念でしたが、それでも楽しめました。
妻有で3年おきに開催されているトリエンナーレは、越後妻有という地域文化を持っている地域に、また過疎などのマイナス面も含めて典型的社会状況をもった地域に対して、現代美術という定義も定かでないものをぶつけることにより、地域とアートの可能性を追求しようとしたのだと思います。それに、今回は、美術館のような顔を持った「越後妻有里山現代美術館キナーレ」が加わりました。
そんな中で、引きつけられた作品は
トリアンナーレなどの定期的に開催される現代美術のイベントもずいぶんたくさん行われるようになりました。、2011年には第4回「横浜トリエンナーレ」、2010年に最初の回が行われた「愛知トリエンナーレ」、これも2010年に最初の回が行われた「瀬戸内国際芸術祭」。
それぞれが都市で行われたり、地方で行われたり、美術館の協力を得て行ったりと、多様な展開を見せ、訪れるとそれぞれ異なった印象を受けます。
今日は、越後妻有アートトリエンナーレをバスで廻るツアーに参加しました。日帰りだったので、十日町エリアと《光の館》を含む一部の川西エリアしか観られなかったのが残念でしたが、それでも楽しめました。
妻有で3年おきに開催されているトリエンナーレは、越後妻有という地域文化を持っている地域に、また過疎などのマイナス面も含めて典型的社会状況をもった地域に対して、現代美術という定義も定かでないものをぶつけることにより、地域とアートの可能性を追求しようとしたのだと思います。それに、今回は、美術館のような顔を持った「越後妻有里山現代美術館キナーレ」が加わりました。
そんな中で、引きつけられた作品は
- キナーレの中庭の大きなスペースを使って展示されているインスタレーション、クリスチャン・ボルタンスキーの《No Man's Land》。これは古着を大きな山と積んで、その上方から巨大クレーンで古着をつまんだり落としたりするもの。古着は人間がいなくなった後の人間の残骸を思わせ不気味。
- キナーレの中にある、墨で造った立体作品。山本浩二の《フロギスタン》。この作品には自然の暖かさともろさがあります。一つ欲しいけれどもすぐに壊しそう。
- 十日町駅からはだいぶはなれた所にある枯木又で、京都精華大学が行っている枯木又プロジェクトの中の、小松敏宏の《Snow Room》。雪が溶けた水が入っている小瓶をたくさん積み上げた作品。コンセプトが面白い。
- もぐらの館の中の、田中哲也の《輝器》。焼き物で光る物体を造る。発想も面白いが、発光している姿が美しい。
越後妻有トリエンナーレが、また機会を見つけて、行ってみたいイベントであることは、たしかです。
2012年8月5日日曜日
大英博物館古代エジプト展 森アーツセンターギャラリー
今、何故かエジプト展が重なっていますが。古代エジプト人の死生観や、死者があの世にうまくいけるようにするための呪文に興味がある方は、森アーツセンターギャラリーで開催されている、《大英博物館古代エジプト展》に行ってみてはどうでしょうか。「死者の書」に関して丁寧に説明されています。
「死者の書」は死後ちゃんとあの世に行き、復活できるようにするための、旅行ガイドのようなもので、途中で旅を妨げるような者がでてきたり、前世の行いを計られたりするとき、どのようにすれば良いかが書かれているわけです。
世界で一番長いといわれる、大英博物館所蔵の、ネシタネベタイシュルウのために作られた、全長37mに及ぶ死者の書が展示されていますから、見に行って損は無いと思います。太陽神「ラー」とか、冥界の王「オシリス」とか、「バー」とか「カー」とか言う精霊のこともわかるようになります。
お約束のミイラも2体出ていますが、むき出しではないので、ミイラ嫌いの方でも大丈夫だと思います。
造型的には、顔と足は横を向いていて肩は正面を向いているエジプト型の人がたくさん出てきますが、どれも同じだなと思ってしまいます。同じ墓の中に入れられた図像でも、中国の漢代画像石ではもっと作者の創意工夫があって図像自体が面白いのですが、この差はどこからくるのでしょうか。そこが文明の違いなのか、興味があります。
森アーツセンターギャラリーで9月17日までの開催です。
「死者の書」は死後ちゃんとあの世に行き、復活できるようにするための、旅行ガイドのようなもので、途中で旅を妨げるような者がでてきたり、前世の行いを計られたりするとき、どのようにすれば良いかが書かれているわけです。
世界で一番長いといわれる、大英博物館所蔵の、ネシタネベタイシュルウのために作られた、全長37mに及ぶ死者の書が展示されていますから、見に行って損は無いと思います。太陽神「ラー」とか、冥界の王「オシリス」とか、「バー」とか「カー」とか言う精霊のこともわかるようになります。
お約束のミイラも2体出ていますが、むき出しではないので、ミイラ嫌いの方でも大丈夫だと思います。
造型的には、顔と足は横を向いていて肩は正面を向いているエジプト型の人がたくさん出てきますが、どれも同じだなと思ってしまいます。同じ墓の中に入れられた図像でも、中国の漢代画像石ではもっと作者の創意工夫があって図像自体が面白いのですが、この差はどこからくるのでしょうか。そこが文明の違いなのか、興味があります。
森アーツセンターギャラリーで9月17日までの開催です。
2012年8月4日土曜日
久隅守景 夕顔棚納涼図屏風 東京国立博物館
今、東京国立博物館の総合文化展の7室で、久隅守景の《納涼図屏風》が展示されています。
久隅守景は狩野探幽の弟子で江戸時代前期の画家ですが、狩野派をはなれて活動をしていたため、生没年や経歴の詳細は不明ということです。
《納涼図屏風》は一般には《夕顔棚納涼図屏風》といわれる二曲一隻の屏風で、小さな貧しい小屋から張り出した夕顔棚の下に「ござ」を敷き、親子三人がほとんど裸で簡単な着物を付けただけで涼んでいる図です。女性なんかは上半身裸です。
図版では見ていたのですが、実物は初めて見たので、こんなに大きい絵だったのかと改めて思いました、もちろん屏風ですから大きいわけですが、図録ではそんな感じがしなかったということです。
夕顔棚というのもあまり知らなかったのですが、藤棚のような棚に夕顔がはわせてあるもののようです。ちなみにGoogleで「夕顔棚」と検索してみると、ほとんどこの《夕顔棚納涼図屏風》が引っかかってくるというのは、夕顔棚というのは珍しいものなのでしょうか。このへんは私も良くわかりません。
夕顔のさらっとした筆のタッチや、涼しげな親子など、見ているだけでも涼しく気持ちいいだろうなと思わせる絵です。
17世紀の作品ですから、日本でもヨーロッパでも僧侶や貴族でない一般人が好むような風俗画が描かれた時代の作品と言えるのだと思いますが、こんなにも何もしていない人が描かれた絵というのは世界にも珍しいのではないでしょうか。オランダの風俗画などでは、飲んで乱痴気騒ぎをしたり、手紙を書いたり、家事をしていたり、何かしています。
涼しい絵を見たいという方、世の中ぼんやりしてても良いではないかと思われる方、9月2日までに東京国立博物館に言ってみたらどうでしょうか。
久隅守景は狩野探幽の弟子で江戸時代前期の画家ですが、狩野派をはなれて活動をしていたため、生没年や経歴の詳細は不明ということです。
《納涼図屏風》は一般には《夕顔棚納涼図屏風》といわれる二曲一隻の屏風で、小さな貧しい小屋から張り出した夕顔棚の下に「ござ」を敷き、親子三人がほとんど裸で簡単な着物を付けただけで涼んでいる図です。女性なんかは上半身裸です。
図版では見ていたのですが、実物は初めて見たので、こんなに大きい絵だったのかと改めて思いました、もちろん屏風ですから大きいわけですが、図録ではそんな感じがしなかったということです。
夕顔棚というのもあまり知らなかったのですが、藤棚のような棚に夕顔がはわせてあるもののようです。ちなみにGoogleで「夕顔棚」と検索してみると、ほとんどこの《夕顔棚納涼図屏風》が引っかかってくるというのは、夕顔棚というのは珍しいものなのでしょうか。このへんは私も良くわかりません。
夕顔のさらっとした筆のタッチや、涼しげな親子など、見ているだけでも涼しく気持ちいいだろうなと思わせる絵です。
17世紀の作品ですから、日本でもヨーロッパでも僧侶や貴族でない一般人が好むような風俗画が描かれた時代の作品と言えるのだと思いますが、こんなにも何もしていない人が描かれた絵というのは世界にも珍しいのではないでしょうか。オランダの風俗画などでは、飲んで乱痴気騒ぎをしたり、手紙を書いたり、家事をしていたり、何かしています。
涼しい絵を見たいという方、世の中ぼんやりしてても良いではないかと思われる方、9月2日までに東京国立博物館に言ってみたらどうでしょうか。
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